第九地区、邦画批判、井上ひさしのワルツ

toma_s_heart2010-04-12

昨日の日記を振り返る

「第九地区は根本的なことからわからない。第九地区はハリウッドでは正直B級脚本です。」

と書いていますが、あくまでシャッターアイランドとの比較です。取り上げていたキャットフードの扱いもいいんです。第九地区ツッコミどころはいっぱいあるけどいい内容です。

実は今日の日記は第九地区でなく

「根本的なことからわからない。」って思ってるのは私だけ?? 

最近、日本映画のヒット映画というかシネコン系はこんなのばっかりな気がするんです。最近だと「ハンサムスーツ」とか

この「根本的なことはよくわからない」というのはTVとか漫画によくあるパターンではあると思うんです。
花とゆめ」のマンガとかにありがちな、投げっぱなしのエンドレスの楽園的世界感、最後がどうなるに向けて動いてるんじゃなくて、数話先と今の面白さというテンションの維持に向けて、漫画は動いてる。
物語ではないけどTVだと「徹子の部屋」や「いいとも」のように何かと言われる何をやってるわけではなく、ゲストが変わっても番組の雰囲気が変わるわけではない。
私は「徹子〜」も「いいとも」も好きなんですけど、あらを探すと“ダラダラ”してるんです。
この“ダラダラ”原因は漫画だと本人の意思に関わらず、打切りとか引き延ばしがあるからある程度は仕方ないんだろうけど…

ハンサムスーツでのギャグは」その漫画っぽい? テレビっぽい? その場しのぎの一発ギャグ、作品の内容に影響のないネタのシークエンス。こんなの全部カットだと思っちゃうんですよね。
例えばTVだと5分ぐらいごとにに大きな笑いを1つあと細かく笑いを1・2回入れようと努力しているように思います。
途中から見た人でもついていけるような工夫だと思うけど。。。
スピルバーグだとジュラシックパークだとトイレに駆け込んだひとがティラノサウルスに頭喰われる。
笑いの後に残酷なシーンがある。残酷シーンでさっきまでの笑顔が引き攣るっていう演出の為だけの為に無茶なギャグがあるんだけど、言うならば緩急がある。
最近のシネコン向け日本映画は夢枕漠みたいに書くと「笑、笑、笑、笑、笑、泣、笑」
完全に躁状態
スピルバーグタランティーノ第9地区、全部目を背けたくなる残酷表現があります。
そのための状況づくりがきちんとしています。

先日亡くなった井上ひさし氏は、優れた作品には素敵な話題だけでなく、巧みなプロットと巧みな話運びが大事だ。というようなことをいっています。

「笑、笑、笑、笑、笑、泣、笑」

こんな話のどこに感情移入するのだろう。

「泣」????

でもとって付けたような泣きであって、話そのものが持つような泣きではないんだな。
井上氏の作品は笑うだけ笑って、時にハッとさせられる。ボーっと笑っていると文章の怪獣に頭を噛み砕かれ、顔が引き攣る瞬間がある。
誰かが死んだり、誰かに振られるのも辛いんだけど
その周辺にあるなんでもない悲しさに目を向けたい。

私はなんでもない事に喜んだり、笑ったり、泣きたい。それを思い出して胸に温かいものや、言い知れぬ痛みが込み上げるこれがしあわせのはず。